「MONSTER」第33話「子供の情景」

あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!
なんてこったい!
録画の開始時間、間違えてるぅ!Aパートの最初半分くらい切れてるぅ!アタシの馬鹿ァ!!
お陰でなんでディーターがあの少年と出会ったのか、判らない。

屋上から落ちて怪我をしたその少年は、屋上の端を二人の子供が向かい合って歩くことが「遊び」だと言う。
「運命と賭けをするのさ。生き残った方は選ばれた者だ」
「世界はつまらないからさ。楽しいぞぉ。運命に選ばれた者だけが遊びつづけることができるんだ」

未成熟なうちは、自分にとっての「世界」はとても狭い。
自分が日常的に認識できる範囲でしかないから。
そして未成熟で純真だから、身近な大人が言うことを鵜呑みにして、それが「誰かが言ってた」ことじゃなく、「世界」の真実になり、自分だけが真実を知った気になる。
ディーターが「世界は真っ暗だと思ってた」のも、彼の養父がそう教えたからだ。

少年にその「遊び」を教えたのはヨハンだし、意図的に子供達をいわば洗脳したんだろうとは思うけど、ヨハンがどうこうというより、未成熟ゆえに他人のいわば道具と化す姿が、観ていてとてつもなく痛々しい。現実にはいくらでもあることなんだろうけど。
端的な例はイスラム過激派のテロリストとか。
そんなふうに意図的に道具にされる場合は極端としても、無意識な(もちろん無責任な)他人に踊らされて自分を見失ってしまうことは日常的にあるように思う。

いずれは成熟して自分の目で見、自分の頭で考えるようになるのだろうけど。
そのための通過儀礼だとか将来の肥やしとなるのだとか、そういう考えもあるだろうけど。
それでも、観てるのは非常に辛い。
いっそ、恐怖だ。

そしてBパート。
シューバルトが蔵書を寄贈する式典の打合せのため、ミュンヘン大学の図書館に来たヨハン。冒頭の少年同様にすっかり抱き込んだ少年のための絵本を探しているとき、ある絵本を見て突然様子がおかしくなり気を失う。
な、なにごと?
もう一人のヨハンが現れたとか?
全く判らないけど。
その絵本がきっかけだったのか?
これって、まさかエンディングの絵本?
エンディングは本編ストーリーを寓話化しただけだろうと思ってたけど。

ところで、そのエンディングの絵本がまた進行。
テーマ曲も変わって・・・え?歌がフジ子・ヘミング?あのピアニストのフジ子・ヘミングさんでしょうか?
で、絵本の方は。
男達が次々とMONSTERを吸い込んで(MONSTERが中に入って?)、その男達の中から戸愚呂兄、じゃない、MONSTERが現れる。村中がMONSTER化?
MONSTERはヨハンだけじゃないってことを暗示してるのかな。

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