第17話「マヨイ」

また久し振りになってしまったノエイン感想。

――――哀れ、クイナ!

もう、これしかないな、今回。
コサギのことが好きだったとは。
コサギがカラスを好きなことは気付いてたようだったのに、カラスを殺しに行くなんていうコサギの言葉を鵜呑みにしたのが敗因だったね。
次回、修羅場かしらん。ふっふっ。>怪

クイナから貰って付けた口紅を拭い取ることで、クイナとの決別を表したシーン、乱雑に手の甲でぬぐうところがコサギらしいというか。戦士としての荒々しい側面もあるだろうけど、むしろコサギのひたむきさが見えるようで良かった。

それにしても、まさかコサギがカラス追っ掛けて自分まで函館側に来るとは思わなかったな。
次回からコサギもNPOでハルカの家に居候?

後はやはりイサミ!
アブナイ女子高生達からアイを助けるシーン、カッコ良いじゃないかぁ!意外と(>失礼)頭脳派なイサミ。
しかも観てて恥ずかしいほどのアイとのらぶらぶっぷり。
最近の小学生はあんななのか?(吃驚)
ラクリマのアマミクが、フクロウが死んだことを知ったシーンとリンクしてるところが、なんとも切なく感じたけれど。

そして、コサギとアマミクとの会話。
竜のトルクはエネルギー体でしかない、と言うコサギに、
「私という存在があの子をハルカと認識した。あの子も私を認識してくれた、本当の名前で」
だからハルカは存在している、と言うアマミク。

「俺は本当に存在しているのか」
というカラスの科白があったけど、自分の存在というか、存在価値というか、そんなものに自信をもてなくなることはよくある。
なんか最近、生きてて現実感がないっていうようなカンジもする。
でも、そんなときに、いわば座標軸になるのが『他人との係わり合い』じゃないかという気がする。
家族とか、友人とか、恋人とか、その他周囲の人々との関係を通じて、自分という存在を確認できるような気がする。
できれば多かれ少なかれ「必要」とされたい、少なくとも「認識」されたい。
そうやって他人から認められることで、自分でも自分という存在を認識してるんじゃないかと。
アマミクが言ったのはそういうことかな、と思った。
互いに互いを認識することで、互いの存在を確認しあう。人間はそうやって社会をつくってきたんだろう。

ところで。
さっき公式HP見て驚いたんだけど。
あれって「シャングリラ人」!?
でっかいタツノオトシゴじゃなくて!?
足あるんだろうか。足なんか要らないのか。
「足なんて飾りです」
―――って、若いヒトには判らんこと書いてゴメンよ。

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